ひさびさの取説ダンディ。
今回は初の中判カメラ「マミヤ M645」の取説ダンディを見てみましょう。
「マミヤ M645」は、1975(昭和50)年、国産初の645判一眼レフカメラとして登場しました。
フィルムバックは交換式ではないものの、その分ボディは小型に出来ており、重量も80mmレンズを装着した状態で約 1.5Kgと適度な重さであることから、手軽に撮れる中判カメラとして好評を博したそうです。
現在でも、このカメラを肩からぶらさげている若者の姿を目にすることがあります。そして、マミヤのカメラが日本よりもむしろ海外での人気が高いからでしょうか、外国人の観光客らしき人がぶら下げているのを見かけることもあります。
ということは、もしかしてダンディは外国人?
いえ、日本人でした。
最初はアイレベルファインダー装着時の構え方。
睨んでます。必要以上に睨んでます。
そして次は、ウエストレベルファインダー。
アイレベルファインダーの時と比べ、表情は柔和になっています。
ネオ演歌の雄・冠二郎氏似の素敵なダンディ。
最初の険しい表情とは大違いですね。
このダンディ、おそらく、カメラマンの「じゃ、最初はアイレベルの撮影からいきましょうかね〜!」なんて気軽な声とは裏腹に、緊張のせいで最初は険しい表情になってしまったのではないでしょうか。
そして、撮影が進むうちに徐々に緊張もほどけ、軽い冗談なんかも言い合ったりして、自然な表情に変化していったのではないでしょうか。
最後のグリップ装着時も、肩の力が抜けて自然な表情になっています。
撮影も終盤に近づき、すっかり緊張も溶けたダンディとカメラマンとスタッフの間で、こんな会話が交わされていたかもしれません。
「この写真、取説に載せる写真ですからね、後世までずーっと残っちゃいますよ!」
「いやー、驚きですねー。僕なんかでホントいいのかねー?」
「でもさ、後世って言っても、さすがに50年後は残ってないよ。30年後だってどうだかね。」
「そうね、さすがに50年後はないよね!ははは!」
…残ってます、しっかり。
しかも、インターネットで世界中の人が瞬時に見れてしまうのですよ。
人類の技術の進歩ってすごいですね!